真の自己実現

プロの演奏家でも一流の料理人でも、自己愛満足手段をもつすべての人が、最後には身体的な衰えから何もできなくなる日が来る。そのときにでもなお自己愛満足が供給され続けるならば、それは生産的活動によるものではない。それは情緒的交流や態度的価値といった精神的活動からだ。自己愛を満たす全ての不健全な生産的活動を行う者にとっての最終到達地点は、その活動を行わずとも日々満足できるような精神性、人間関係を発達させることにある。ピアノを弾いて自己愛を満たしているような人が、「もうピアノなんて弾かなくてもいいかな」と思える人間関係を持てたとき、その人は真の成熟を遂げたと言えるだろう。アルコールやタバコを嗜むものも同様である。人生の後半までこのことに気がつかず、質の高い人間関係を持てなかったものが、身体の衰えや社会的立場の喪失から不健全な自己愛供給路を絶たれたとき、その人に破滅が訪れる。

不健全な自己愛供給路として機能する趣味や仕事は、人間関係を深化させていくための「道具」なのだという自覚が大事である。そう考えていれば、人間関係の構築よりも仕事や趣味を優先させてしまうこともない。人間関係にマイナスを生じるような活動であれば、躊躇なくブレーキをかけることができる。このことに無自覚な人が、趣味や仕事を大事にするあまり大切な人間関係を毀損することを平然とやってのけてしまう。勝負に拘るあまりチームメイトとの関係が悪化するくらいならそんなスポーツはやめてしまうほうが良い。他人とぶつかってばかりなら仕事で業績を追求するべきではない。本を読むために友人からの誘いを断るのは誤りである。

究極の自己実現とは、あらゆる不健全な自己愛供給路なしに自己愛を満たせるようになることである。そのためには、基本的自己愛を十分に満足させることが必須である。その中でも現代で最も難しいのが情緒的な人間関係の構築、次いで睡眠の充足であろう。前者は不健全な自己愛満足こそが最重要という誤認の蔓延によってないがしろにされ、後者はそうした不健全な自己愛満足のために真っ先に犠牲になる。もう一つの基本的自己愛である飢餓の解消も、食事の真の価値としては忘れ去られ、不健全な自己愛満足である過食、美食にその目的を取って代わられている。これらのものが正しく満たされたところから初めてその人らしさというものが発揮される。基本的自己愛なき個性の発揮は、満たされない自己愛を補うために個々が発達させた、イメージに基づくナルシシズム、外骨格でしかない。それは上辺だけのものであり、決してその人の真の個性などではない。