再生を始めたナルシシスト

何かに憧れるということ。憧れの対象はしばしばその対象の業績、成果にある。巧みなピアニストへの憧れ、高学歴や社会的成功に対する憧れ。こうしたものはに憧れて努力すること自体は不健全ではないが、それがナルシシスティックな努力でしか叶わないと気づいたとき、健全な心の持ち主は、それを諦めることができる。なぜならそこへ到達するためには色々なものを犠牲にしなくてはならず、そこには他者との情緒的交流も含まれるからだ。健全な心の持ち主は、情緒的交流という最も大事な自己愛満足を放棄してまで何かに没頭しようとはしない。彼らは結果でなく過程、姿勢に学ぼうとするから、その結果が情緒的交流を犠牲にするナルシシスティックなものだと分かると、もはやそれを追い求めない。だがナルシシストは、もともと情緒的交流の能力を欠いていいるため、そのことに気がつけない。更に彼らは、情緒的交流と同様に最も基本的な自己愛である眠気や空腹の解消にも無頓着であるから、それらを容易に犠牲にして結果追求に走ることができる。ナルシシストが再生の道を歩み始め、彼らが十分な睡眠や空腹の解消、そして何よりも情緒的交流による満足を実感し始めると、もはや不健全な自己愛満足がそれに及ぶものとは思えなくなる。今までのような成功者への羨望は弱まってくる。そうして初めて、現実の自分に自信が持てるようになる。それは今までの自分の価値観から見れば向上心を欠いた、不完全な落伍者に映っただろう。だが再生を始めた彼らは、もはや飽くなき向上心が人生の目的ではないと知っている。彼らはより良い結果ではなくより良い姿勢の追究こそが人生の目的だと気がつく。今まで価値を置いてきた業績や社会的成功への羨望というものがいかに不健全な心の動きであるかに気がつく。今や彼らの価値基準は、それまでとは180度異なるものになっている。