不健全な自己愛の副産物としての社会

人間は自己愛を満たすために生きている。生命維持の根幹は飢餓と不眠の回避、つまり食欲の充足と睡眠という基本的自己愛の満足である。生後すぐに母親を失った子猿は長くは生きられない。それはすなわち情緒的交流という基本的自己愛の満足もまた生命維持に必須ということの表れにほかならない。

本当に心が健康な人には大した趣味はない。あったとしてもそれにこだわるようなことはしない。社会的活動への熱中、没頭の裏には自己愛の不足があり、彼らはそれを補うために無意識に行動した結果、彼らに見合ったの自己愛供給路を見つけたのだ。逆に言えば、不健全な自己愛行動に耽る人でも、情緒的交流を取り戻すことで、それらへの耽溺から離脱することができる。それが極めて難しいのは、彼らの多くが幼少期からその方法を学ぶ機会を与えられなかったことと、真の自己実現の意味に気がついていないことのためである。彼らは社会に出てから、不健全な自己愛満足こそが正しい解決の路であると錯覚させられる。

社会の発展に貢献するような経営者、スポーツ界のスター、俳優、学者。これらの人物への憧れが不健全な自己愛供給路を次世代に提供する。それらへの同一化は、たとえばスポーツ観戦やコンサートイベントでの熱狂、ファンの消費活動を生む。こうした活動は我々の住む社会そのものであるが、それがさらなる便利さの希求、不健全な自己愛の終わりなき供給源として機能するのであれば、それらはすべて不健全な心の持ち主のエネルギー源にしかならない。心の健康な人にとって、そのようなものは本来全て不要なものなのである。人間はその不器用さゆえ、満たされない心を別の方法で満たそうとし、副産物として社会というものを発展させてきたと言える。