「結果」について

「結果がすべて」と言う場合、それが正しいのはプロセスに目を向けている場合だけである。結果が出なかったのだから自分のやったことには意味がなかった、ということでは決してなく、結果が出なかったということは自分のやり方に何らかの問題点があった「かもしれない」ということであるし、あるいは正しいプロセスを遂げてはいたが自分が目指すところにはまだ到達できていなかった、というのがこの言葉が正しく使われた場合の意味である。

「結果よければすべて良し」と言った場合、それはプロセスを反省できる者が口にするときのみ正しい。プロセスに重大な問題があるのに、結果が良かったことでそれを正当化するのはナルシシズムにほかならない。結果的にうまく行ったのだから、その手法に見習うべき点があるかもしれない、という観点からこの言葉が出てくる限り、それはよりよいプロセスを指向しており正しい。

「結果がすべて」「結果良ければすべて良し」といった誤解を与えかねない言い方よりも「結果が物語る」という言い方が望ましいように思う。