自説の洗練、自身の成熟

あらゆる「指導的」教育活動が悪であるとして、健全な教育とは自説を述べてそのままにしておくということだと以前に書いた。ではその自説の妥当性をどう評価し、どう洗練させていくか。それは自説を他者の目に晒すことだろう。そこではナルシシズムに冒された者は適切に自説を変化させ、成長することができない。彼が自説に確信を持っているほど、批判によるナルシシズムの傷つきが起こる。ナルシシストがそれを防ぐには、幻想が守られる環境に引きこもるしかない。当人がナルシシズムを脱していれば、彼は自説と対立する意見に傷つきなく対峙することができる。そしてどんな他者からの意見であっても参考とすべき部分があれば自説を柔軟に更新することができる。これは学術的教育にとどまらず、人生全般に当てはまる。自説を他者の目に晒すことは、他者との人間関係を持つことに相当する。他者からの指摘によって生き方を柔軟に変化させられるのは健全な人間の資質だ。ただし、核となる「姿勢」を有していないと、彼はただの外骨格だけの人間になってしまう。変化させるのはあくまで核となる信条を守りながら変えられる部分だけである。正直を信条とする人が、不健全な自己愛を守るためにその信条を変化させてしまうことは、核を捨てることにほかならない。その「核」は、自身の姿勢にのみ依存し、広く社会的是認を受けるものである。人生の大目標というのは、自分の生きる姿勢を常に見直し、それを洗練させていくことにある。だから自分を成熟させようとする者は他者との関わりから引きこもってはいけない。適切な「核」を有し、常に現実を見ている者は、他者すなわち世界との関係において自己愛憤怒を生じない。それは究極のアンガーマネージメントでもある。