病に対する態度

歯周病になったり歯並びの悪い者が、見た目を気にして人前で歯を見せられないというのは、髪が薄くなったので増毛治療を行い、見た目を気にしていつも帽子を被るようになるということと非常に似た心理的行動ではないだろうか。予防が可能だということはさておき、多かれ少なかれ、年をとると歯周病が進行することを考えれば、それは少し早く毛髪が薄くなってしまったことと同じように考えられないだろうか。その時点から歯や髪のケアを念入りに行うにしても、それまで失われたものは多くの場合綺麗さっぱり元には戻らないし、それを気にして四六時中塞ぎ込んでいることは傍から見れば滑稽ですらあるだろう。薄毛のような身体に無害なもの以外にもこの考え方を敷衍することができる。糖尿病なども、生活習慣が原因で膵臓の機能不全が早期に起こってくるわけで、その時点から食生活に気を配り出すことは歯周病や薄毛と全く同じ構造だろう。一度失われてしまった機能、構造を取り戻せるかは病気の性質にもよるが、多くは完全な回復が望めない。その際、何度も書いているように結果主義に陥っている者は、現状の回復に過大なエネルギーを注ぎ、現実改変に勤しむ。そして変わらない、あるいは悪くなる一方の現実に絶望して人生を棒に振る。正しく生きている者は、立ちはだかる現実の課題から自身の生き方を振り返り、それが間違っていたと気づけばそれを修正し、現実に手を加えようとはしない。もし現実を変えられる見込みがあれば努力こそすれ、思うような結果が得られるかどうかという部分には執着しない。彼らは結果につながるプロセスを修正しようとする。彼らが修正したプロセスが結果となって表れるには時間がかかるし、修正したプロセスが最適かどうかは分からず適宜再修正が必要にもなるだろう。結果主義者はその時間に耐えられない。結果主義者は手に届く範囲に思い通りの結果を欲する。そしてそれが得られないと大きく落胆する。彼らは指向した結果に執着しているのでプロセスに一貫性が出ず、そこから満足を得られない。問題に直面した際の結果主義者のこうしたナルシシスティックな態度は、癌のような原則不治の病に直面したときに大きな問題を引き起こす。彼らは現代医学が提示する限界、現実に絶望し、そこから目をそらし、可能性を提示してくれる民間療法に救いを見出す。治癒という結果に執着し、自分の体が弱っていってもその現実すら否認しようとする。健全な者は、死という動かしがたい未来を突きつける病気に直面しても、その生き方を悔いこそすれど、仕方なかったものとして受け入れることができる。

好みはさておき、健全な人は他人の歯並びも薄毛を大して気にしていない。それを気にするのはナルシシストである。人同士の温かい交流はそんなことを理由に失われるものではない。あらゆる病気も同じだ。あなたの真に欲しいものが異性からの表層的な好意の目などではなく、人との心ある情緒の交流だとすれば、あなたの現実を覆い隠すような行為は全く無意味なのだ。異性からの好意であっても、真に価値のあるものはそうした表層的な部分からは生じない。