信念と対立する医療行為

自分の行っている医療行為が、自分の信念から完全に逸脱していると分かっていて、しかもその活動から降りることができないとき、人は大きな自己嫌悪、不満を感じる。健全にせよ不健全にせよ、自己愛補給のできないと分かっている行為に時間を費やさなくてはならないからだ。自己愛を満たすのとは正反対の行動を強制的に取らされてしまっている場合もある。その現実にどう対処するか。EBMを信条とする医師にとって、ドクターカーに乗ることは信条と真っ向から対立することをやらされていることになる。エンドトキシン吸着回路を回させられる医師も同じだ。人に親切にすることを信条とする人が、人に意地悪ばかりさせられているのと似た苦痛を彼らは感じている。それは少なくとも患者に益を為す医師としての仕事とは切り離して考えなくては対処できない。それが仕事の一部である以上、彼は妥協点を見つけなくてはいけない。彼は医師であることと人の役に立つことを同一視し過ぎている。ここでも、彼の現実を見る力、「諦める能力」が問われている。