「真面目」という態度的価値

真面目、真剣というのが諸刃の剣だということはすでに論じた。多くの日本人が有するこの態度的価値は自己愛補給路としてその人を救うことができるだろうか。ナルシシストが自分の本性に気がついたとき、その空虚な人生を振り返って「それでも自分はいつでも真剣に取り組んできた」という自負は、その人に自己愛満足をもたらしうるのではないかと私は感じる。たとえその行動が不健全な自己愛満足のためだったとしても、そこに取り組む姿勢が真剣なものであったなら、それはその人の人格に一貫性を持たせる態度として機能する可能性がある。ただしナルシシズムと結びついた真面目さは、結果主義を助長して過程を疎かにする。そうすると「真面目さという一貫した姿勢」は表面的で中身のない、程度の低い一貫性としてしか機能しないだろう。「行動に一貫性はないが都度の行動には常に真面目」というおかしな姿勢がここに確立する。ナルシシストの中には、幻想の中で生きながらも、現実変革に真剣に取り組まず、他者の非難や現実逃避に終始する者も多い。不真面目なナルシシストである。真面目なナルシシストにとって、そこから脱却するために必要なのは自分の真剣さ、真面目さを否定することではなく、それらを正しい方向に発揮することであり、そのためにはどんな行動が健全でどんな行動が不健全なのかを見極める力を備えることだ。料理の手を抜かないことに真剣であることが本質的に大事なのではない。それは提供する相手のことを思えばである。相手が悩み事を抱えていて、食事も喉を通らないような状況でも、料理の質ばかりに注力しているのでは真の愛情を注いだことにはならない。相手がつらい状況にあるのに仕事に精を出して稼ぎを上げることは逃避でしかない。仕事は自分たちが最低限不自由なく食べていけるために行うことであってそれ以上の他愛的な意味はない。料理に至っては、不味くて食べることができないのでなければ大した問題にはならない。衣食住の本来の満足ラインは人々が考えるよりもずっと低いところにある。現代の多くの人は、感情的な満足を与え合うことができないから、衣食住の満足ラインがあたかもずっと高いところにあるように、あるいは他者よりも高いところを目指すようにそこへ注力し、それを達成することで偽りの満足を得て、情緒面での本質的満足から目を逸らしている。だが衣食住の中でも最も大事な睡眠や空腹解消にはさして注目せず、それ以外の卑小な自己愛満足(素敵な服を着る、より広い家に住む、自身の体を理想に近づける、より質の高い多くのモノを所有する)へと触手を伸ばし、それらの満足に耽るようになる。そうした不健全な自己愛満足にどれだけ「真剣」であっても、そこからは自己の一貫性は全く生まれてこないどころか、ナルシシズムは深化してしまう。

「真面目さ」は行動の加速装置である。それは健全な行動にも不健全な行動にも勢いを与える。それが健全な行動であれば問題ないが、不健全な行動は容易に基本的自己愛を犠牲にする副作用を生じる。睡眠時間は削られ、空腹の解消という満足は忘れ去られ、人同士の情緒の交換を切り捨ててしまう。行動が真剣に行われているとき、周囲はそれにブレーキを掛けることが難しい。「大変な努力家」「寝る間を惜しんで努力している」といった評価の下、不健全な行動も容認され、奨励さえされる。そして結果ばかりに注目され、結果が出なければ努力を評価する声は小さくなる。仮に努力を評価する声があったとしても、睡眠や食事、人間関係を犠牲にして努力することに果たして価値があるだろうか。そうしたものを犠牲にすることを賞賛する価値観は健全ではない。だから健全な努力とは何かがわかっている人は、基本的自己愛を犠牲にした努力を目にしてもそれに高い評価をつけない。健全性の観点からは、ナルシシストは自らの行動の「結果」と「過程」の両者において価値がないということになる。彼らの中で唯一価値があるとすれば、それは真剣に取り組むという彼らの姿勢であるが、ナルシシズムにおいてそれは正しい方向に利用されなかったことで潜在的な価値を発揮できなかったのだ。真剣さ、真面目さは、他の態度的価値観と結びついて初めて意味を成す。自分の本質に気がついたナルシシストは、自らのもつ真面目さという道具の使用にきわめて慎重にならなければならない。彼らが健全に生きていくためには、彼らに唯一の一貫性の感覚を与える「真面目さ」という価値観を捨てるか、真面目さを保持したまま、その使い方に細心の注意を払うかのいずれかの道がある。真面目さを保持しようとするにせよ、彼らはもはや「すべてに真面目」でいてはならない。彼らは「基本的自己愛を毀損しない範囲において真面目」になる必要がある。彼らは睡眠時間の確保に真剣であるべきだし、空腹を感じ、それを適切に解消することにも真剣であるべきだ。また彼らは人とのコミュニケーションを自分の自己愛満足行動に優先することにも真剣でなくてはならない。そしてできることなら、彼らは真面目という「バフ」をかける対象となる別の態度的価値を自分の中に見出すことが望ましい。