豊かさと自己愛

基本的自己愛や健全な自己愛のなかで、経済的な豊かさが充足を助けるものはなにか。眠気の解消、空腹の解消について言えば、経済的な豊かさにより必要最低限の食料を得るために働かなくてはならない時間が減り、それを睡眠に充てることができるようになる。食料の確保も、社会のインフラの発展によって容易になり、効率的に行うことができるようになっている。近所の店舗は食料を確保する時間を短縮し、冷蔵庫は都度出かけていく必要性を低下させる。つまりより少ない労力で、より多い時間眠ることが可能だし、より簡単に空腹を解消することができるようになっている。この点において、生産性や効率の向上というのは自己愛の健全な満足促進に与する。そこで生まれた時間は、家族や友人間での情緒の交換に充てることもできるはずだ。だが人は、睡眠時間の確保や感情的交流の充足ではなく、不健全な自己愛満足のために余剰時間を充てるようになり、それを当然と捉えている。夜遅くまでテレビを見て、早起きして旅行に出かけ、外食で美食、過食し、ショッピングで所有欲を満たす。態度的価値から来る健全な自己愛満足には目もくれず、不健全な自己愛満足を基本的自己愛満足に優先して満たすことで、基本的自己愛満足や態度的価値からの自己愛満足を補おうとしているように見える。順番が逆なのだ。まず十分に眠れていて、空腹が解消できて、情緒の交換が十分できて、その上で健全な信念を持った行き方をした上で、さらに時間とお金に余裕があれば不健全な自己愛満足に手を染めてもよい。だがそれらができている人には、もはや不健全な自己愛満足は必要ない。現実には誰もが望ましい自己愛満足にいくらかの不足を抱えており、それを補おうと卑小なあるいは誇大な自己愛満足行為に没頭している。

労働の本質は食料の確保にある。空腹を解消するのに困らないほどにお金が稼げるようになったなら、それ以上は賃金の上昇を望むのではなく、同じ賃金を得られる範囲で働く時間を減らして可処分時間を増やす。生産性の向上の真の目的は生産物や賃金の増加ではなく、自己愛満足不全の健全な解消機会を増やすことにある。生産性の向上によりもたらされた余剰時間をある人は睡眠時間に充て、ある人は他者との心の交流の時間に充てる。だがそのどちらも時間がボトルネックとなっていない人にとって、生産性向上により生まれた余剰時間は何の本質的意味もない。彼らはその時間で不健全な自己愛行動に勤しむことになるだろう。それは趣味への没頭かもしれないし、新たな消費活動かもしれないし、ポルノ視聴かもしれない。現代において本当に必要なのは十分な睡眠時間の確保、飢餓の回避、他者との心の通った交流である。そのいずれも、時間を与えられることで充足できるのであれば生産性の向上には意味がある。その人が仕事の中での人間関係から心の交流を得られているのであれば、働く時間を減らさなくても一向に構わないし、増やしたって構わない。そういう人は仕事で燃え尽きることはないし、彼らには生産性を上げる必要がない。

睡眠時間を十分に確保でき、飢えない程度の稼ぎがある自己愛不全者が、生産性の向上により余剰時間を与えられたとき為すべきことなにか。それは不健全であっても対人活動を伴うような自己愛行動であろう。他者が関わらない自己愛行動は、問題の本質的解決には繋がらない。仕事が対人的であるならば、まずはその中に、業績や生産性とは異なる他者との交流の機会が持てないか模索するべきである。それが仕事の中で得られれば、もはや余剰時間の必要性はなくなる。仕事が対人的なものでない場合は、それと同じことを余剰時間の中で見出していくのが問題の本質的解決につながる。そのときにも、健全な自己愛行動が不健全な自己愛行動に呑み込まれてしまわないようにバランスを取ることが重要である。ピアノ演奏者が、聞き手とのコミュニケーションに優先して演奏に没頭してはならない。美味しい食事を食べていても、相手との他愛ない会話がなくなっては意味がない。不健全な自己愛行動は、健全な自己愛行動を促進するための足がかりや手段でしかないと常に肝に命じることである。