おもてなし精神が態度的価値を分かりにくくする

おもてなし精神により、皆が皆愛想よくするフリをするようになると、心を伴わないコミュニケーションが常態化する。飲食店に入っても、マニュアル通りの言葉を発するだけで、表面上は親切な人を装っているが、そこに心からの親しみがあるとは限らない。むしろ各々が、その者の人柄に従ってある人は親しみやすく、ある人はぶっきらぼうにコミュニケーションを行ったほうが、受け手は相手の人柄を正しく見定めることができる。現代では、誰もが親しみをこめた挨拶を「すべき」だいう幻想の中に生きており、それを表面だけで実践するようなマニュアル化が進んでおり、これを「おもてなし精神」と呼んで押し付け、称賛する。そのような中で生活すれば、人はコミュニケーションから人の心を素直に感じることができなくなり、猜疑的になり、コミュニケーション=表面上のものという意識が強まり表面ばかりを重要視するようになる。表面の整っていないものは、サービスの受け手の幻想=ナルシシズムを傷つける悪とされ、表面が整っていなくてもその奥にある心が整っていることには気づけなくなる。どのような心性から発せられようと、言葉さえ整っていればよいというおもてなし精神は、結果さえよければそこへ至る過程はどうでもよいという結果主義のいち形態に他ならない。おもてなし精神は、本来は心からの思いやりを言葉に乗せて相手に接しましょうというものなのだろうが、実際には「相手のことをどう思っていようと思いやりのある言葉で接しなさい」という態度に変質している。