自己愛の種類

ここまでで考察したように、自己愛は、

①自己の意思にのみ満足が依存し、結果には依存しないもの
②結果に依存するが、自己の意思の達成が他者に依存しにくいもの
③結果に依存し、他者に大きく依存するもの

の3つに大別される。これらは実際には連続スペクトラム上のものだが、それぞれに例を挙げれば、

①他人に親切でありたい
②毎朝納豆を食べたい
③他人に好かれたい

という具合になる。①は健全な自己愛、③は不健全な自己愛ということになるのだが、②に属する自己愛の中には健全と不健全なものが入り混じっているというのが私の考えだ。そしてその境界は状況により変化するとみている。空腹を満たしたい、睡眠欲を満たしたい、自分の感情に素直でありたい、といったものは、状況により達成に他者の承認を必要とするが、いずれも私の考えでは健全な自己愛と言える。こういった欲求が「こだわり」と呼ばれることはないだろう。それ以外のもの、例えば毎朝納豆を食べたい、週に3回ジムに通いたい、といったものは、いずれも「こだわり」と呼ばれる点で前者とは性質を異にし、共に生活する者からの承認を必ずしも得られない。人間が不満の少ない、幸福な人生を送るためには、①および②のうち健全な自己愛以外を持たないことが最良の方法ではないだろうか。それはあらゆる「こだわり」を手放すことでもある。その上で、人は睡眠を確保する生活をすること、空腹を感じ取り解消すること、自分の感情を理解することに尽力する必要がある。このうち多くは内的な力であるが、たとえば空腹を解消する能力とは最低限の経済力を持つことであり、睡眠を確保する生活をすることも、現代においてはそのような仕事に就く選択ができるための社会的能力が必要であることを意味する。日本においてこれらのことは必ずしも難しくはなく、特に飽食の時代において前者はますます易しくなっている。ただ多くの人は、空腹の解消からではなく満腹の感覚、美食の感覚という、食事を利用した不健全な自己愛満足を得ているように思う。