真剣さ、真面目さ

真剣に取り組む姿勢そのものは不健全なものではない。この内省も、真剣であるがゆえにできたことだ。心理学的に「真面目」が悪く言われることがあるが、その姿勢自体が不健全なのではない。この姿勢が特殊なのは、この姿勢がその者の行動を「促進」する点である。親切にする、嘘をつかない、といった多くの健全な信条は、自分が取り組んでいる最中の行動に対して抑制的にはたらく。週3回ジムに行きたいが、家族を想ってそれを諦める。たくさん食べたいけれど子供を優先してそれを遠慮する。売上を増やしたいけれども嘘をつきたくないので諦める。ところが真剣さや真面目さは行動を促進する。真面目さを発揮する対象行動が不健全な自己愛を満たすためのものであるときでも、その不健全さが真面目さにより助長されるということだ。真面目であることが、その過程よりも結果を強く指向した行動に作用するとき、惨事が起こる。真剣に取り組んだ結果、期待した結果が得られなかったとしても、真剣に取り組んだ自分の「姿勢」に態度的価値を見いだせるなら、真剣さや真面目さというのは大変価値のある資質だ。その人がどの程度の真剣さ、真面目さを備えているかは、取り組んだ行動がどれくらい結果に結びついたかではなく、取り組む過程での集中力、忍耐力といったもので本来は評価されるべきなのだ。だが現実には、真面目さはその人が結果的に何を成し遂げたかで評価されてしまうことがほとんどだろう。周囲も、真剣な姿勢ではなく結局何をやり遂げたかでその人を評価してしまうことが多い。少なくとも本人にはそのように感じられるような褒め方をする。すると、当事者も成果を出さなくては自分の真剣さや真面目さが本物だとは感じられなくなる。真剣さや真面目さを信条とするのであれば、それが発揮される行動が健全な自己愛満足に結びついていることが望ましいし、真面目さゆえにより基本的な自己愛満足が毀損されてしまう状態は避けなくてはならない。睡眠を削るほど真面目であってはならないし、空腹を無視するほど真剣である必要はない。そして感情を無視するほどに真面目になってはならない。感情を抑えようとするところまで自分を追い込んでいる時点で、その人は十分真面目なのだ。親は感情を抑えてまで真剣に取り組んでいる子の姿を見て、適切にブレーキを掛けなくてはいけないが、それができる者がどれだけいるだろうか。