本当の不誠実

信条とする姿勢を保つことと、その姿勢を行動で示すことは違う。前者へのこだわりは健全な人格を形成するが、後者へのとらわれはナルシシズムを生む。嘘をつかないようにすることを信条とする人も、それよりも大切な自己愛の危機に及んでは嘘をつくだろう。たとえば守りたい家族の命がかかったときなど、あるいはより基本的な自己愛満足が脅かされているとき。拷問はこれを利用している。約束を守ることを大切に思っていても、そのためにより基本的な自己愛である自分の感情表出が脅かされていると感じるとき、人は約束を自ら破ってしまうかもしれない。それは決してその人が本当の意味で信頼に足る人物ではないことを表しはしない。外から見れば、その人は不誠実な人物と評されるだろうし、もし自分でもこのことに無自覚なら、自分でも自分を不誠実だと感じてしまうだろう。だが彼らが約束を破ってしまうのは無理もないことだ。彼らの喉元には見えないナイフが突きつけられている。人から不誠実と評されることは、ナルシシストにとっては耐えがたい傷つきとなるだろう。本当の不誠実とは、より優先度の低い、不健全な自己愛を守るために健全な姿勢を曲げることをいう。お金持ちになりたいから嘘をつく、かっこよく見られたいから約束を破る、テストで点数が欲しいからカンニングする。

眠気の解消や、空腹の解消には事欠かなくても、人は自分の感情を素直に表現する場を与えられなければ、より上位の、生きる姿勢を一貫して維持することはできない。無意識に感情の表現、情緒の交換の補償を求めて、あらゆる手段が尽くされる。不健全な自己愛満足手段に手を出し、それをいち早く手に入れようとしてより基本的な自己愛満足が犠牲になる。睡眠は削られ、空腹は無視され、手に入れる能力のない情緒の交換を求めて誠実さも二の次となる。だが不健全な自己愛満足は決して基本的自己愛満足の代替とはならない。このような状態に陥った者は、基本に立ち返る必要がある。睡眠、空腹解消を怠らず、その上で仕事では不健全な自己愛満足に目を奪われずに情緒的交流の機会を探る。自分がどのような人間関係から健全な自己愛満足を得られているかに目を向ける。不健全な人間関係からは極力身を引く。自分を褒めそやすものに呑み込まれない。