他者依存的な信条

「人に好かれたい」「感謝されたい」というのはわかりやすく他者依存的な信条である。他方「朝に納豆を食べたい」「一日二食で暮らしたい」といったものは状況によっては周囲がそれを許してくれるか否かにかかっているという意味で他者依存的である。また生活状況によっては許してくれる他者が不在の場合もある、言葉を替えれば達成に他者の存在を必要とはしないという意味ではやや性質が異なる信条である。だが満足に姿勢ではなく結果を必要とするという意味ではやはり不健全な部類に入る。「こだわり」が問題になるような信条というのは、いずれも満足に結果を必要とするようなものであると言える。親切にすることに「こだわる」ことは必要ない。では満足に結果を必要とする信条がすべて不健全かと言えば、そうではないと思う。「空腹」や「眠気」、「つらいという感情」に素直に反応することにこだわることは、状況によっては他者依存的であるが、その中でも人間として最優先されるべき信条だと私は考えている。だがこれらの信条は、私達が現代社会に適応するためには犠牲になることがある。幼少期の家庭生活では「空腹」や「眠気」が無視されることは稀だが、学校生活、受験を通して眠気を無視しなくてはならない場面が現れ、さらに感情に素直になることが許されない家庭ではそれを補償するように空腹の満足が満腹による満足、そしてなにか別のナルシシスティックな達成満足に取って代わられる。さらに社会に出ると、空腹や眠気が無視される状況がより頻繁に出現する。

ナルシシストは、すでに感情に反応する能力を喪失している。その代償として、空腹を満たすことによる満足を満腹による満足に置き換えてしまっている場合も多い。仕事人間として眠気を無視することが常態化してしまっている人も多い。こうしたナルシシストが生き方を変えていくにはどうしたらよいのか。正しい順序は私にも分からない。眠気に反応して睡眠を十二分に取ることは間違いなく正しい。満腹による満足の獲得が情緒の交換などによる健全な自己愛満足が得られないところから発達してきたとすれば、それを空腹を解消することによる満足に即座に置き換えるのは難しいかもしれない。だが少なくとも空腹に敏感になることはできる。そしてそれをできる限り無視せずに満足させ、今まで得られていなかった新たな満足をそこから得る。食事の回数は3回とはならないかもしれない。最後に、イメージにとらわれないで人と交流することが大きな課題となるだろう。その場合、すでに人間関係がある程度出来上がってしまっている人との関係をいきなり更新するのは勇気のいる作業になるかもしれない。そういう人はまずは自分の背景をほとんど知らない、旅先での出会いにも似た他者との交流や、新しい職場での人間関係を足がかりとすることが適しているかもしれない。その意味で、ナルシシストは新しい出会いを開拓することにも積極的である必要があるだろう。