不健全な自己愛の蔓延

化粧をする、ハイヒールを履く、眼鏡のデザインを選ぶ、脱毛する、睫毛のエクステ、ネイル、ファッション、いずれもイメージへの近接を目的としている。そのイメージが他者からの承認を主な目的としている限り、彼らはナルシシスティックである。他者の承認ではなく、自分だけの承認で成立しているとしたら、その行動は健全だろうか?それらの行為が「自分が良いと思うように振る舞おうとする」結果なら、あるいは健全と言えるかもしれない。その場合も、彼の自己認識は現実の自己とイメージの中の自己とに乖離しており、彼は自己イメージを追いかけている。服を着る、化粧をする、眼鏡をかけるといったことは、快適な社会生活を営む上で必要不可欠という側面もあり、その場合には機能性の高い衣服や靴、最低限の化粧、デザイン性の高くない眼鏡、といった選択になる。それらの多くは「自身が快適であろうとする」姿勢、身体感覚に関する姿勢にもとづくものと言える。社会人のスーツ、化粧、女性の露出部の脱毛などは、周囲に溶け込むという意味での精神的快感と関連しているだろう。社会人として周囲に溶け込むというのは、突き詰めれば「社会人としてのイメージ」に自己を近接させるということであり、現実を生きる上では必要不可欠だが他者依存性のある自己愛満足ということになる。社会というものがなければこうした自己愛満足も必要ない。こうした行動までをもナルシシスティックな所業と言うのは現実にはそぐわない。だが男性の脱毛、染毛、ネックレスなどになると健全な目的を探すのはより難しい。純粋に髭剃りの煩わしさのみを理由として脱毛する人がどれほどいるだろう?髭面に対する劣等感、自己イメージと現実との乖離が関与していることは否定しがたく思える。睫毛のエクステ、ネイル、機能性の乏しいファッションなどは、どれも自己愛の観点からは不健全であろう。コンタクトレンズも、運動するためのやむを得ない選択であれば健全だが、「イメージチェンジ」だとすれば不健全である。

社会に要請されるイメージへの近接にはさほど大きなエネルギーを必要としない。それは周囲との同調により達成される。社会に要請されるイメージにも複数の段階がありそうである。「服を着る」「髪を整える」といった最も基本的な社会のルール、「職業上ふさわしい服装」「営業職にふさわしい髪型」といった所属組織に依存したもの、「会社のイメージに沿った歩き方」「会社のイメージに沿った服の色」といった一般根拠にはやや乏しいもの。この段階を登っていくにつれ、概ね健全だった依存的自己愛は集団ナルシシズムへと姿を変える。社会的な要請に基づかない自己イメージへの近接を目的とした行動を自発的に行う者が、ナルシシストの特徴と言えそうである。

ナルシシストとまでは言えない人のなんと多くが、日々イメージに基づいた行動をしていることだろうか。ナルシシズムを克服するためには、自分の行動の「イメージ部分」に気づき、身体感覚、および社会的要請に基づくイメージ部分だけを残した行動をすることである。眠気、空腹から始まり、「身体の心地よさ」「適度な機能性(行き過ぎは生産性、効率追求からナルシシズムにつながる)」を重視し、それ以外のイメージ部分については「誰かに求められているから仕方なく行う」という気持ちをもつ。誰かとは、「世間」であり「所属する組織」である。快適さを毀損した、自発的なイメージ追求はやめるべきである。「ファッションとは我慢である」というのはファッションがナルシシズムと密接な関係にあることを端的に示している。それは「ファッションとは身体感覚の無視である」ということに等しい。