諦めてもらうことで諦められるようになる

「私はこのような振る舞いはよくないと思う。だから私は同じようには振る舞わない」というのが健全な自尊心の持ち方。「私はこのような振る舞いはよくないと思う。だから皆そのように振る舞うべきではない」というのが不健全な自己愛の持ち方。コントロールできるのは自分の姿勢だけである。それがいつの間にか他人の姿勢についての操作欲求に置換、拡張されてしまっている。他人の姿勢について欲求をもってしまうのは、他人の姿勢に欲求をもって良いような、そしてその欲求が叶えられるような環境におかれたからではないか。その根幹にあるのは、親からの養育において本人自身が親の思い通りに操作される経験をしたかどうか、つまりありのままの自分でいることを許されなかった経験を持つかどうかではないだろうか。「自分は親の言う正しい信念に従って自分を変えてきた。だから他人も私の言う正しい信念に従って自分を変えなくてはならない」というわけだ。ここでも我慢しなくてはならない、諦めなくてはならないことがあるという基本的教訓を身につけられているかどうかが問われる。それは遡れば、親が子供の成長についてどれだけ我慢したり諦めたりできたのかということになる。ありのままの自分でいられるということは、視点を変えて親の立場に立てば、それは子供についての自分の欲求を我慢する、諦めるということを表している。子供は親に自分のことを諦めてもらえる経験をして、初めて外の世界を「諦める」ことができるようになるのではないだろうか。他人は思い通りにならないと親が諦めることで、自分も人の言いなりにはならない経験をする。その経験が、自分以外の他者は思い通りにはならないという現実を教えてくれる。反抗期というのは、子が親の思いどおりにならない経験をする時期のことを言うのだろう。それは子の中に自他の区別を生み出す。