負けることの意味

世間では勝負には勝つことのほうばかりに価値が置かれている。それは結果主義にすぎない。負けること、特に完敗することは、どうにもならない現実を突きつけられる瞬間でもある。そこから「人生にはどう頑張っても自分の思い通りにならないこともある」という教訓を学べることこそが負けることの価値なのだ。人生早期には、身体能力、学力に大幅な開きのある学校での集団活動を通して、このように「完敗」を喫する機会が少なくないが、高校、大学、就職と進むに連れ、集団は次第に均質となる結果、「完敗」を経験する機会は減っていく。「負けるのは自分の努力が足りなかったからだ」と思わせるような教育や指導がいつでも正しい訳ではない。完敗はもちろん、競り負けるような場合でも、それは努力の不足だけでなく時の運が関与しており、勝敗をコントロールする権利が完全にこちらにあったわけではない。やはりそこへ向かう努力を評価するべきなのだ。十分やったのであれば、超強敵に完敗しても、ライバルに惜敗しても、自分を肯定的に評価できるだろう。だが本来は肯定的に評価して良いのに、それを許さないような心理状態に陥らせるような指導の仕方がされることが珍しくない。負けたのにそれを責められなかった経験をしたことがある人がどれほどいるだろうか。超強敵は、本来は自分の現在の位置を知るための物差しと言える。一方実力の拮抗したライバルとの戦いは、100戦すれば概ね真の実力差がわかるという類のものである。このことを拡張、敷衍すれば、例えば演奏を披露する際に、失敗するかどうかという問題がある。何度やってもミスのない演奏ができるということは、対戦相手に百戦全勝を上げるということに似ている。ライバルとの戦いのように、自分の実力と演奏環境がもたらす緊張が拮抗している場面は、そのときによって演奏に細かいミスが出たり、時にはミスなく演奏し切れるような状況に相当する。つまりは緊張という「敵」に対して、自分の努力の結果の実力がどの程度の位置にあるのかによってパフォーマンスが変わるということなのだ。緊張という心理的な敵の強大さは、大勢の観客前でのコンサートなのか、ストリートパフォーマンスなのかによっても変わってくるし、何よりパフォーマー個人の性格特性によって伸縮率が変わる。ある人は大コンサートだろうがストリートパフォーマンスだろうが「敵」の強さに大した変わりはない。こういう人は自分の実力通りのパフォーマンスで百戦全勝できる。だが「敵」を大きく感じてしまい、それが猫と鬼ほどの差となってしまう人もいる。心理的に大きな敵を作り出してしまうくせに、どんな状況でも「完璧に演奏しなくては」と考えてしまう人は、スポーツで超強豪相手に対しても「絶対に勝たなくては」と思っているような競技者と同じ心理状態にある。そういう人は非現実的な幻想の世界を生きており、非常にナルシシスティックである。そのような状況でミスをするのは、強豪に負けるのと同じくらい当たり前のことなのである。問題は、自分で設定した「大きな敵」に対して自分がどの位置にあるのかをそのパフォーマンス経験からしっかりと直視、認識することなのではないだろうか。これが「胸を借りる」ということであろう。「勝負を諦めるな」ということが言われるが、そもそも諦めるとか諦めないとかいった話ではない。勝負にばかり目を奪われること、勝敗に執着することが間違っているのであって、平時のパフォーマンスを出すことにこそ集中すべきなのだ。だが勝敗を意識した途端、パフォーマンスへの集中力は低下してしまう。バレーボールの5セット勝負、入学試験の合否、ピアノの発表会、仕事のパフォーマンス、筋トレの成果、ある程度予防可能とされるような病気、そして人生、皆同じことが言える。結果はプロセスを振り返る上でのヒントを与えてくれる。ネガティブな結果はプロセスの致命的欠陥に気がつくのに役立つ。だがプロセスが誰の目にも妥当なものならば、結果を見直す必要はない。健全な人は「自分はやるべきことをやってきた。その自分がいまどこにいるのか確かめよう」と考えることができる。「勝負強さ」などというのは、持たないからといって批判されるべきものではない。ここ一番で普段のパフォーマンスを出せないのは、結局は勝敗に目を奪われてパフォーマンスに集中できなかった結果なのである。つまり「結果」にこだわることでその「結果」からかえって遠ざかっているのだ。勝負にこだわらない姿勢こそが勝負強さを生む。人生も同じで、生きる姿勢に筋が通っていれば、どのような結果がもたらされても人生の価値について評価を左右されることはないし、人生はうまくいく。人生がうまくいかないとき、それは自分の生き方を振り返る上でのヒントとなる。フランクルの言う「いま私は人生から何を問われているのか」とはこのことなのだ。ある人は敗戦や挫折、失敗を通して自分の生き方に致命的欠陥があったことに気づく。こういう考え方は多くの人にとっては無意識に理解できていることなのかもしれない。だがそれに気が付かない人が現代という「勝負の世界」に生きることは、その人のなかに非常に苦しい心理状態を作り出すことを約束してしまう。

強敵を前にしたパフォーマンスの結果は約束された敗戦ではあるが、自分の位置を知るための物差しである。正しく生きている人にとって「敗戦」に物差し以上の役割は無いかもしれないが、そうでない人にとってそれは自分の「あり方」の根本的誤りを正すチャンスかもしれない。