理想を持つことの本当の意味

幻想の形成を促進するようなシステムが自己愛の肥大に与する。幻想とは「私はあの人と同じことができる」「私は他者より勝っている」という類のもの。これらはいずれも不健全な自己愛形成を促進する。特に後者は他者との競争に勝つことを基調としている。人生において競争が自己愛満足の手段となる場面が時にはあっても良い。学校における運動会や試験がそうした自己愛満足の「稀な」場面を提供する機会として機能していた時代は良かったのだが、現代ではこの「競争に基づく自己愛満足」が自己愛満足のほぼすべてを支配してしまっている。他人と同じスマホを持っていたい、他人より可愛く制服を着こなしたい。それらの幻想に現実を一致させる努力のために、生きるエネルギーの多くが費やされているように思える。一方「私はあの人と同じことができる」というのは同一化による幻想を生むが、必ずしも競争を意味しない。だがナルシシストは他者と自分を同一視することなしに他者に同一化することができない。つまり自分の限界を受け入れつつ現実の範囲内で理想像に近づこうとする努力をすることが難しい。大切なのは結果としてその理想像に近づけたのかということではなくて、理想に向かっていく姿勢を一貫して持てたのかということなのだ。理想を持つことは、そこへ向かう一貫した姿勢を生み出すという意味において価値があると言える。「他人と同じスマホを持っていたい」という理想を持つことは、そのために地道にアルバイトをしてお金を貯めるという姿勢を生み出し、その姿勢を貫くことで自己愛を満たす限りにおいては健全である。そういう人は結果的にスマホが何かの事情で手に入らなくても諦められる。他人と同じスマホを「持つ」ことに執着し、親の財布から金を盗むような人は理想を正しく活用できていない。