犠牲になった信念

結果に執着した生き方をした結果、犠牲になったのはどんな信念か。感情の喪失というナルシシストを特徴づける性質は、この観点からすれば「自己の感情に耳を傾けて生きる」という信念の放棄ということになるだろうか。結果に執着することは、目に見える事柄の達成と言い換えられるかもしれない。衣食住で言えば本質的でないレベルでの満足ということだ。「寒さをしのぐために着て、飢えをしのぐために食べて、安全を確保するために住む」のではなく、自分を良く見せるために着て、満腹になるために食べ、自分を良く見せるために住む。この結果犠牲になるのはやはり可視化できない情緒の交換だ。食事をするより好きな食べ物の話をする。衣服を買うより服の好みについて話す。立派な家に住むよりも日々の生活について会話を交わす。こうした人間同士のやり取りに満足できていれば、衣食住は最低限の満足が得られていればそれ以上は必要と感じないだろう。いくら旅行に行って体験的価値を高めようとしても、そこで生じるような感情の共有、交換がなければそれは空虚な体験にしかならない。