態度的価値への転換

「コントロールできることだけに集中せよ」と言うとき、それは必ずしも「自分のことに集中する」ということではない。自分以外のことであっても、結果はコントロールできずともその事柄に対する自分の態度はコントロールできるし、自分のことであっても結果に関することはコントロールできず、あくまでその結果に向かっての自分の態度や姿勢をコントロールできるに過ぎない。つまり、「自分がコントロールできることだけに集中する」というのは、「自分の態度・姿勢だけに集中する」ということを言っているのである。難しいのは、今まで結果を出すことにばかりに自己愛の満足を見出してきた人が、今までその満足のための手段でしかなかった態度的価値に重きを置く姿勢に急には切り替えられないということだ。なぜなら彼らは、結果に執着するあまり、大切にすべき自分のポリシー=姿勢といったものを持たないか、持っていたとしても望んだ結果を得るためにそれをやすやすと捻じ曲げてしまう生き方をしてきたからだ。彼らにあるポリシーは、「結果への最短経路を選択する」というものだけである。つまり、態度的価値という新しい価値観の下では、彼らのそれまでの人生は必然的に価値の無いものと測られてしまうのである。結果という目標がなければ、彼らのポリシーはその意味を失う。結果に執着する性格構造の形成に、競争を促進する現代社会の風潮が一役買っていることは言うまでもない。競争は「勝利者」という理想像を参加者に思い描かせ、そこに自分を重ねて快感を感じるものにナルシシスティックなエネルギーを供給する。そういった物事への取り組み方が人生の一部にあっても良いかもしれない。だが人生の早期にそれに取り憑かれると、以降の人生におけるあらゆる努力というものが競争の勝利者、業績の達成者、他者に対する優越、「成功者」という理想像への近接体験にもとづいて行われることになってしまう。人生における大きな目標を想定する場合、そこへ向かう努力はナルシシスティックなものではなく現実主義的なものであるのがよく、目標の達成ではなくそこへ向かう一貫した姿勢こそが評価されるのだという認識のもとに行われなければならない。でなければ、人生の充実感というのは目標を達成できる一握りの者だけが得られるものになってしまう。目標の達成による充実感はあくまで副産物であるという認識は、周囲とも共有される必要がある。親の教育、学校の教育というのも、成果を求めることを捨て去る必要はない。だが目標達成はあくまで付随的なものであり、周囲はそこへ向かう本人の姿勢に何よりも注目し、なされる努力、注がれるエネルギーが傍目に見てあまりに膨大ではないか(=ナルシシスティックなエネルギー供給が行われてはいないか)に着目する必要がある。だが成果を出している生徒に対し、それを抑制する言動を学校側の人間が取ることは極めて難しいだろう。その点では現代の家庭も同じで、成果を出している「優秀な」わが子の努力にブレーキをかけられる親がどれだけいるだろうか?現代では、大きな成果を上げる潜在能力を持った子供というのは、競争が奨励され、適切なブレーキのかからない環境に置かれたとき、逆に自らに不幸を招き入れてしまう。