幻想が生む成果、業績

成果や業績は多くの場合いずれも「結果」により評価される。それは行動者がある理想に向かって行動し、その理想が一定程度実現されたことを意味する。その理想が社会的に、あるいは属する組織内で支持されて然るべきものならば、それは「健全な」ナルシシズムということになる。個人が理想に突き動かされて行動し、他を巻き込んで理想の実現を行う場合、それは個人のナルシシズムの満足ということになる。巻き込まれる他者は、各々の現実を見ながら先導者に協力する場合もあれば、主導者と一体となって共同幻想を抱いて大きなエネルギーを発揮しながら突き進む場合もある。後者のような形になると、個人ではなく集団ナルシシズムが形成される。理想の実現というような大きな物事の達成にはある程度のエネルギーが必要であり、それはナルシシズムの力を借りて行われることが稀ではないだろう。ナルシシズムの生み出すエネルギーは、組織や社会変革を引っ張る力にもなれば、それを加速する力としてもはたらく。ある組織が成長していくとき、そこに働いている主要な力がナルシシズムによるものなのか、現実に根ざした努力なのかは、その組織の安定性を左右する。

現実に根ざした地道な努力というのは、態度的価値に重きを置く姿勢から生まれる。ナルシシズムに突き動かされた努力は、理想に近接する疑似体験、つまり現実の自分を理想に重ね合わせることで得られる快感にドライブされる。努力やエネルギーの最大瞬間風速は、大抵ナルシシズムに基づいたもののほうが大きい。そしてそのぶん即時的、短期的な結果も得られやすい。だがそのエネルギー供給源は脆く、もはや望んだような結果を達成することはできないという実感が一旦訪れると、エネルギーの供給源が一気に絶たれてしまう脆さを孕んでいる。彼らは結果に執着しているので、エネルギーの供給がなくなってしまった上でなお、幻想を現実化できなかったという結果を受け入れることが難しい。また、望んだものに近い業績が得られたとしても、そこから得られる自己愛満足は予想に反して長続きせず、すぐまた違う業績が欲しくなる。彼らは結果に執着するあまり、そこへ至るプロセスを重視しない。彼らはなりふり構わず結果を実現しようとする。だから望む結果が得られても得られなくても、彼らはそこへ至るまでの過程に一貫性を感じることができず、空虚感を抱く。他方、態度的価値は結果に左右されない。彼らにも理想はあるが、彼らは現実的なので、自分の努力が望んだような結果をもたらさなくてもそれを受け入れられる。彼らにとって、そこ(理想)に向かって自分が取るべき姿勢を一貫して取っていたという事実にこそ価値があり、その姿勢をこれまで貫いてきたという自負こそが彼らのエネルギー供給源となり、彼らにこれからも同じ姿勢を貫くことの肯定感を与える。