ナルシシズムと効率化、生産性

教育の成果というのはしばしば結果で測られてしまうし、結果以外には測る手段が乏しい。テストに依らない場合、教育の結果というのはしばしば曖昧で主観的なものでもある。結果で測られてしまうと、結果へのこだわりというナルシシズムを生み出し、それが達成されないことは自己不全感、自己愛憤怒を生み出す。他者への教育について、結果をもとに目標設定をしている人というのは、自分の中に主観的な成功水準(相手の変化や反応)を設定して、それに到達したかどうかで自己愛が満足するかどうかを感じているのではなかろうか。一方で、態度をもとにして目標設定をしている健全な人は、同じ主観的な水準であってもその水準は「自分の行動」にのみ基づいている。前者では、自分が同じように取り組んだとしても、相手の反応が期待通りなら「成功」であり、期待未満なら「失敗」になる。逆に、相手の反応が同じであれば自分が手を抜いてもそれは成功となる。後者では、自分の取り組み方がある水準を満たしていれば、相手がどのような反応を見せたとしてもそれは成功体験となり、逆に相手の反応が同じであっても、自分の中に「手を抜いてしまった」という感覚があればそれは失敗なのだ。

効率化や生産性の向上というのは、最小限の努力で最大限の成果を上げようとする試みであり、それは相手の反応を基準として、それを同等に保ったまま自分の努力水準を引き下げていこうとする取り組みとも言える。この「相手の反応を基準とした取り組み」はナルシシズムと非常に相性が良い。「結果が同じなのだからもっと手を抜きなさい」というわけだ。健全な臨床教育に多大な時間を割いているような臨床医のように、健全な信念を持って教育に当たっている人にとって、その信念を変更するというのは自尊心の根底に関わる行動変容である。そのような人は、いくら効率化や働き方改革と言われても、自分の行動を変化させることは自己愛の健全な満足を損なうことになり、抵抗が大きいだろう。働き方改革というのは、仕事という社会的活動が健全な自己愛満足の供給にはもはや役立たなくなったことで生まれてきた概念である。であるから、そういう中にあって仕事から健全に自己愛を満足させられていた人にとっては実は何のメリットもない。

このように「結果にコミットする」ことはしばしばナルシシズムの形成を招くため注意が必要である。

話が少し逸れるが、いくら態度的価値を大切にしたとしても、態度の方向が目標に対して大きく逸脱しているような場合は社会的には評価が得られず、そのような態度に本当に価値を見出して良いのか疑問符がつく。これを読む医師の中には、こだわりが強く、EBMに全く準拠しないような独自の医療、または「できることは全部やる」式の医療を行っている医師に出会ったことは誰しもあるだろう。前者の中には結果に縛られず、自身の独自のポリシーに従った医療を行うことで自己愛が高まる者もいるだろう。だがそれは今日のEBMを基軸とした医療に照らせば、大局的には患者に害をもたらすため、不健全な自己愛満足である。だが彼らなりのポリシーに従って医療を行うことで自己愛が満たされるのであれば、そのポリシーが結果に向けて全く見当違いの努力であったとしても、結果という幻想に過度に縛られるよりは自己愛の満たし方としては健全と言える。一方後者のような「全部やる式」の医療を行うものは、患者を助けられるかどうかという結果に執着した結果としてそういう医療を行っている。ここにも、「患者を救うため」という正義を盾にして、その過程で生じる様々な不利益を正当化する構図がみられる。彼らは結果を出したいが故にポリシーを捨て去り、望む結果へ至る手段の一貫性を放棄することで「全部やる式」の医療を身に着けたのである。「全部やる式」の彼らこそは究極の結果主義者であり、ナルシシストである。それは健全な医療である「過程主義」の対極にある。