ベッドサイドで実験する人たち①

ほとんどの病院には必ずと言って良いほど、ベッドサイドで「実験」をしている医師がいます。ここで言う実験とは、

「標準的治療とはおよそかけ離れた診療」

ということです。我々が日常的に行っている診療内容、教科書に書いてある治療法は、とくに疾患に特異的な治療法(急性心筋梗塞に対するバイアスピリン、外傷性ショックに対するトラネキサム酸など)については、過去にさまざまな検証を経てその地位を確立してきました。理想的には、あらゆる治療が質の高い検証に耐えてきていれば良いのですが、中には欠点を指摘されつつも臨床使用には耐えうるとして現代の医学に取り入れられたものも多いことでしょう。

新しい治療について検証しようとする際、その治療には効果があると予想されるだけの根拠があり、検証しようとする「仮説」が背景にあります。この仮説は、基礎研究や生理学的理論、あるいは過去に行われた臨床研究の副産物として得られた結果(secondary outcomes)から立てられます。検証は人体を対象としますので、その仮説が曖昧なものであったり、稚拙な理論に基づいていては問題です。仮説の妥当性の判断は研究を行う臨床医の良識に委ねられている部分も大きいです(変テコな仮説を思いつく人もいます)が、客観的には研究を行う施設の倫理委員会での審査を経て臨床研究が開始されます。

臨床研究の結果は雑誌に掲載され、それが多くの臨床医の批判的吟味を経て現場で採用されるかが決まります。あるものはやがてガイドライン、教科書に掲載され、標準的治療としての地位を確立していきます。

本邦ではEBMというものが輸入されて日が浅いためか、大学でもこうしたことは十分に教育されず、医師の多くは臨床の現場に出てから、ある者は直感的/常識的に、ある者は自身で臨床研究等に携わる中でこのことを学んでいきます。ただ、中には臨床研究に携わった上でもこのことを十分に理解できず、本来標準的医療に応用すべきではない「基礎的理論」や「臨床研究の副次的結果」に基づいてベッドサイドでの日常診療を変更しようとする人々がいます。

基礎的理論に基づく診療、通称「矢印診療」。
臨床研究の副次的結果に基づく診療。妥当な診療として受け入れられることもあるが、実験的医療との線引が難しいこともある。

①「基礎的理論」に基づく診療

皆さんが大学の生物の教科書で見たことがあるような分子生物学的な関連図を思い出して下さい。たくさんの矢印で物質同士の関連が示されていたこととと思います。

「物質Aは物質Bの産生を促進しているから、物質Aの産生を阻害する薬剤は物質Bが原因と言われている疾患Cの治療法として有望である」

こうした理論に基づいて、多くの薬剤や治療介入が臨床研究の対象となってきました。こうした理論は研究をスタートさせる際の仮説としては至極妥当です。トラネキサム酸など、中には標準治療としての地位を概ね正当に確立したものもありますが、そのほとんどは臨床では期待された効果が得られなかったり、あるいは正しい批判的吟味を経ないまま治療薬として認可されてしまっています(本邦で認可されている=標準的治療、というわけではありません)。

多くの薬剤や介入は、矢印に基づいてその理論的妥当性が主張される。研究の第一歩としては正当な手法である。(図はhttps://jcs.biologists.org/content/120/22/3905から転載)

こうした基礎的理論に基づく治療介入のほとんどが日の目を見ない原因は明らかで、人体のメカニズムは私達が考える以上に複雑です。上のような関連図を目にすると、あたかも人体の真理を全て捉えたかのように考えがちですが、実際にはまだ発見されていない物質も多く存在しているはずですし、分子同士の未解明の相互作用も山ほどあるに決まっています。そんな中で1本か2本の見えている矢印を調整したからと言って、すべてが思うように回ると考えるほうがどうかしていると言わざるを得ません。こうした理論(例:『この因子を補充することで回路が正常化し、病態が改善する』『この治療によりこのサイトカインを除去することで炎症を消退させ、患者予後の改善につながる』)は、あくまで仮説を立てる段階で引き合いに出されるものであって、ベッドサイドで語られる診療の根拠(例:『この治療により患者死亡率が4%低下する』)ではありません。仮に理論が正しくても、その結果患者にプラスになるような効果がもたらされるかは不確かです。ですが本邦には、こうした理論をふりかざして世界標準的には全く推奨されていないような治療を平然とベッドサイドで実施する人がたくさん居るのが現実です。この手の診療をする人たちは、基礎→臨床という理論の飛躍の問題点を理解しておらず、次に述べる臨床研究の副次的結果に基づいて診療する人たちよりもレベルが低いと言えます。

我々に見えている以上に人体は複雑である。

>>次回へつづく