60/40 mmHg
250/180 mmHg
これらの血圧はどちらも異常であり、数値の上昇と低下は、現場では「病的」と捉えられます。しかし、腎機能については「低下」だけが異常として広く認知されており、我々は腎機能の低下の度合いに応じて様々な薬剤の投与量を減量、あるいは投与間隔を延長します。実は冒頭の血圧の例に似て、GFRで表される腎機能が「上昇」し、正常範囲を逸脱する現象が重症患者では時々みられます。
この現象はAugmented renal clearance (ARC)とよばれており、定義は必ずしも一定ではないのですが、一般的に男女ともクレアチニンクリアランス130 mL/min以上と定義されます。概念的にはAKIの対極の病態と考えるとよいかもしれません。ARCを呈するリスク要因には、若年、敗血症、髄膜炎、くも膜下出血、多発外傷、術後のICU入室といったものが報告されています。ARCがICU入室患者の半数程度に認められたという報告もあり、重症患者の治療に従事する者にとって無視できない病態です。
腎機能が亢進するというのは、一見悪くない病態に思えます。しかし糸球体濾過の亢進は、腎排泄型の薬剤の血中濃度を通常よりも低くすることが知られています。したがってβラクタム系抗菌薬やバンコマイシンといった臨床上使用頻度も高く、治療の核となりやすい腎排泄型の抗菌薬の過少投与の原因としてきわめて重要だと考えられています。
抗菌薬の投与に際しては、血清クレアチニン値から計算された推定糸球体濾過率(eGFR)を指標に投与量を決定している人も多いことでしょう。初回投与量についてはこちらの記事で紹介しましたが、腎排泄の抗菌薬の維持投与量は腎機能を考慮した投与計画が必要です。しかしこの血清クレアチニン値から算出されたeGFRは、もともと重症患者を想定した推定値ではなく、外来に通院する安定した患者のデータを元に算出されたものであり、重症患者に必ずしも当てはまるものではありません。より正確にGFRを推定する方法として、24時間蓄尿によるクレアチニンクリアランス(CCR)を測定したことがある人もいるでしょう。重症患者では時に24時間待つことは現実的ではないことも多く、これまでの研究から12時間、あるいは8時間、短いものでは2時間の蓄尿でもある程度信頼性があるとされています。ですので、たとえば初回抗菌薬投与後は蓄尿を開始しつつ2回目までを最大量で投与し、3回目の投与までにはCCRの測定結果を得て、3回目以降はCCRにもとづいた投与計画を立てる、といった治療戦略を採ることができます。
例外的にバンコマイシンやゲンタマイシンなどは血中濃度が測定できるので、CCRや血中濃度をみて投与量を調整できます。一方、本邦ではβラクタム系をはじめとした臨床上頻用される抗菌薬のほとんどはその血中濃度を測定できません(一部の学術機関や企業などでは研究目的などで測定することができます)。CCRが大幅に上昇している時にそうした抗菌薬投与量を一般的な最大量よりもさらに増やすか(たとえばアンピシリン・スルバクタム 3g 4時間毎など)は判断が難しいですが、抗菌薬移行性の悪い感染症(髄膜炎、膿瘍性病変など)を治療する際には、治療にあたるスタッフ間でよく協議し、投与量を増やすことも時には必要になるかもしれません。
もうひとつ、主だって記述されないARCの問題点として、多尿(必ずしも多尿になるわけではありません)による循環動態の不安定性や電解質の喪失があります。ICUでの多尿の原因はARCに限られませんが、多尿になると時には毎時200mL/hもの尿が蘇生初期(Rescue phase〜Optimization phase)から排泄されます。すると、通常必要な初期輸液や適宜の追加輸液に上乗せして多尿を補うような補液が必要になり、循環動態を適切に維持することが一層難しくなります。Optimization phaseを脱し、Stabilization phaseに入っても多尿が治まらないような症例では、Stablilization phaseにも関わらず毎時100mL/h〜200mL/h程度の維持輸液を続けないと循環動態を維持できない場合があります。KやMgといった電解質も尿中に排泄されやすくなり、Kですと頻繁な経口補正から下痢を併発したり、それを防ぐために中心静脈からの補正が必要となり、なかなか中心静脈カテーテルを抜去できないといった弊害をもたらします。またK、Mgとも欠乏することで心房細動などの不整脈を誘発するリスクが上昇し、これも循環動態を不安定化する要因となります。ARCのこうした側面も、臨床では見逃せないポイントとなります。診療への影響という観点からは、こちらの方が影響が大きいと言えなくもありません。
以上、ARCについて簡単に説明しました。重要なポイントは以下です。
・eGFR値は必ずしも実際のGFRとは一致せず、時には大きく乖離していることがある。ARCではほとんどの場合血清クレアチニン値は「正常範囲」を示す。
・背景リスク因子や尿量(多尿になることも多い)、クレアチニン値(ベースラインよりも低下していることも多い)の推移などからARCの存在を疑う。
・抗菌薬の投与量調整が必要な患者では、クレアチニンクリアランスを蓄尿により測定し、その結果にもとづき適切な量の抗菌薬投与を心がける。
・ARCに伴って起こる多尿や電解質喪失にも気を配り、適切な輸液管理や電解質補正に努める。
参考文献
J. Atkinson, Jr. Augmented renal clearance. Transl Clin Pharmacol. 2018 Sep; 26(3): 111–114.
PMID: 32055559